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漢方大辞典 |
漢方医学の歴史漢方は、治療に対する人間のからだの反応を土台に体系化した医学といえます。古代中国に発するこの経験医学が日本に導入されたのは5~ 6世紀頃。日本の風土・気候や日本人の体質にあわせて独自の発展を遂げ、わが国の伝統医学となりました。17世紀頃、特に大きく発展して体系化され、現在へと継承されています。漢方という名称の由来は、日本へ伝来した西洋医学である「蘭方」と区別するためにつけられたものであり、もちろん、中国の伝統的な医学である「中医学」とも異なります。 |
中国医学の輸入昔、昔、その昔、まだ医学が発達してない時代、伝染病や自然毒さらには栄養バランスの悪さから多くの人が死ぬと祟りなどと言い祈祷やまじないなどの魔法医療を行っていた。そして漢代から三国六朝時代にかけて、中国では一つの医学体系が完成し、中国医学が発達してきました。この中国医学がはじめて日本にきたのは5世紀初めのこと。この時は朝鮮半島経由だったが、その後、遣隋使や遣唐使によって、直接中国文化の輸入が始まった。そして、平安時代なると専門の医師が医療を行っていたが、鎌倉時代になると僧侶が医療にたずさわるようになり、室町時代には、切傷・刃傷などの外科や産科など、医業の分化がすすんだ。
その後、フランシスコザビエルが鹿児島に来航し、キリスト教と同時に西洋医学を伝える。そして江戸時代、日本は鎖国政策をとるようになった。西洋医学に徐々におされつつも、依然として漢方は日本医学の中心だった。ところが明治のはじめ(1884年)、医師免許
規則が制定され、「医師免許は西洋医学を修めたものだけに与えられる」ことが決まって以来、漢方は医学界からほとんど姿を消すことになる。 日本の漢方は、「後世派」「古方派」さらには「折衷派」といった流派が次々とおこり、もともとの母体である中国の医学とは別に、日本的に改良を重ねられていった。 |
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